なぜフォボスへ行くのか –スティーブ・スクワイヤーズISAS講演からMMXの意義と期待–

フォボスと火星衛星探査計画(MMX)探査機イメージ

1911年,エジプトに落ちた火星からの隕石が犬を襲ったという神話があります.

「この犬は世界で最も不運な犬だっただろう」と,スティーブ・スクワイヤーズはISASの満員の講堂で話を始めました.

 

犬を襲ったという話は架空のものだったかもしれませんが,隕石が落ちたのは事実です.それは現在ナクラ隕石として知られていて,地球に存在する火星から発生した隕石のうちの1つです.

隕石というのは,地球の外の世界を理解する上で非常に貴重な存在です.そして,新しい分析技術が登場するたびに,様々な分析が繰り返され,隕石から新しい知見が得られます.スクワイヤーズは,このような隕石のサンプルを「知見をもたらし続ける贈り物」として説明しています.しかし,これまで得られた火星のサンプルでは,火星の全体像を理解することはできません.だからこそ,スクワイヤーズは火星衛星探査計画(MMX)に魅力を感じているのです.

ところで,このスクワイヤーズは火星の研究の先駆者です.彼はこれまで多くのNASAのミッションに深く関わっており,その功績はMars Reconnaissance Orbiter (MRO)による火星の広域観測からMars Science Laboratory (MSL)による火星表面の科学探査やMars Exploration Rover (MER)による地形探査にまで及びます.

この中でも最も偉大な功績を残したのは,MERミッションでしょう.彼はこのミッションにおいて,2004年に火星に着陸した双子の2台のローバー,スピリットとオポチュニティが行なった科学探査の責任者だったからです.2台のローバーは,当初予定されていた90日(火星での90日)のミッションを無事乗り切った後も,スピリットは2010年まで生き残り,オポチュニティに至っては未だ稼働中で,火星での最長活動記録を保持しています.これらのローバーは,水の存在下で典型的に形成すると言われている赤鉄鉱鉱物の「ブルーベリー」を発見し,水がかつて火星で流れていたという地質学的証拠を発見しました.このプロジェクトは,それぞれ異なる経緯を持つ非常に多くの種類の岩石を見つけ,火星がこれまで考えられなかったほどの地質多様性を持つということを明らかにしました.

火山で生まれた堅い岩石は,火星の地質学的な歴史を示しています.今は”静かな”火星が、かつて地球のように内部が活動していた時期が存在するということです.一方で,より柔らかい堆積岩の層を剥がすことは,かつて居住可能だったかもしれない火星の古代の環境を明らかにすることに繋がります. 火星の過去を理解するためには,これらの岩石の代表的なサンプルを調べる必要があります.

しかし、これは難しいことなのです. ローバーは火星表面の岩石を解析し,周囲の地形に関する情報を我々にもたらします。しかし、ローバーではわずかな範囲しかカバーできません. スクワイヤーズも「火星を代表する全ての岩石を調査することのできるローバーはありません」と述べます。 ナクラのような火星の隕石は,火星表面どこからでも生じうるものです.しかし,火星から発生した隕石が地球に衝突するのは,とても稀なケースですなのです.地球に到達するには,岩は火星の重力から脱出するのに必要な速度である5 km/s以上で、火星の表面から噴出して生き残らなければなりません.その後,宇宙で何百万年もの間移動してから,地球の大気圏に突入する際の熱で,流れ星や火球になります.

もっとも”強い”岩石だけが生き残ることができる,とスクワイヤーズは言いました.現存する火星由来の隕石はすべて高密度で硬い岩石です.小さな岩石や柔らかい堆積物も火星に分布しているわけですが途中で崩壊してしまうので、ほんの一部の生き残った岩石だけがサンプルとして得られているのに過ぎないのです。 隕石が火星から地球への衝突するのは天文学的な確率の賜物だったわけですが,火星から火星の月への生き残ることは比較的容易です.

MMXは,火星の小さな月,フォボスとダイモスの両方を訪れ,火星を取り巻く周辺の環境を探査する計画です.両方の衛星がサンプルを取得する対象として考えられていましたが,フォボスは,ダイモスよりも火星に近いので,火星からより強い重力を受けます.火星の重力の強いところにあるということは,フォボスへの着陸はより大きな技術的課題であるということです.つまり,ミッション中に予想外の問題が発生した場合,ダイモスに簡単に移行できます. 科学の面でもメリットがあると考えられています.フォボスには火星の隕石が定期的に飛来しているからです.火星に隕石が衝突すると,物質が宇宙に放出されます.最速で最大の岩石だけが地球に到達しうるわけですが,その他大多数の破片は地球が無理でもフォボスになら到達する可能性があります.フォボスは火星の表面からわずか6,000kmの距離だからです. フォボス自体にも隕石が衝突します.

研究者ケネス・ラムジーとジェームズ・ヘッドによって行われた数値シミュレーションでは,これらの衝突がフォボスの物質を放出することが示唆されていますが,ほとんどの場合,火星の重力から逃れることはできず,代わりに惑星を周回してフォボスに再び衝突します.隕石の破片はその大きさによって,それぞれの未来が変わりますが,地球へ向かうような大きな岩石のように劇的な生涯を歩むことはありません. 約300マイクロメートル未満の破片は,太陽の放射線(「ポインティング・ロバートソン」ドラッグと呼ばれるプロセス)からの力を受け,スパイラルして火星表面に戻ります.これらの破片よりも大きいものは,フォボスの表面に見つかる可能性があり,それは火星のどこからでも発生しうる可能性があります. その結果,MMX探査機が火星の月からサンプルを収集すると,フォボスと火星の両方の物質が収集されます.フォボスは火星の赤みを帯びた色合いと比較して非常に暗い物質からできているため,2つのタイプの岩石は区別しやすいはずです.

つまり、フォボスでサンプルを採取すれば、火星上のあらゆる地点から発生した地質学的に多様性のあるサンプルを得ることができるということです。スクワイヤーズは,これがこれまで得られてきた火星の岩石と決定的に違うのだと言っていました. そして「火星の岩も採取できるだろう!」と彼は結論づけています.

「これはすごくエキサイティングなミッションだ」