制限時間90分!フォボスの砂10g以上を確実に採るために

「火星の月フォボスに着陸後、90分以内に1回10g以上のサンプルを2㎝の深さから採取せよ」

こんな難題に対して2015年頃からサンプリング装置開発に取り組み、2024年度の打ち上げに向けて「はいつくばるように」奮闘中なのがJAXAの加藤裕基さんです。なぜ90分で採取しないといけないのか。どんな方法でサンプルを採り、どんな難しさがあるのか。見据えている未来は? じっくり伺いました。(取材・文:林公代)


加藤裕基(かとうひろき)JAXA研究開発部門主任研究開発員。1977年金沢市生まれ。カーネギー・メロン大学大学院修士課程、東大大学院工学系研究科博士課程修了。2007年からJAXAに。ロボット工学の専門家として火星衛星探査計画MMX、国際宇宙ステーションのロボットプロジェクト、宇宙デブリ除去などに携わる


「はやぶさ2」の約100倍のサンプルを確実に持ち帰ってと言われて

加藤さんはいつ頃からMMXに関わっておられますか?

加藤裕基さん(以下、加藤):2015年の夏ごろです。MMX自体はすでに動き出していましたが、かなり初期に検討チームに加わりました。

当時はどのくらい決まっていて、何を課されましたか?

加藤:「火星の衛星からサンプルリターンをやるんだよね」ということは決まっていました。小惑星探査機「はやぶさ2」はまだサンプル採取もしていない時期でしたが、サイエンスの人たちから「MMXでは持ち帰るサンプル量を(「はやぶさ2」より)増やしましょう」と言われて。どうやってサンプル量を増やすの?というところから検討が始まりました。

どういう方法で砂を採るかという段階から関わったんですね。要求されたのはどんな内容で、どんな制約条件があったんでしょうか?

加藤:要求されたのは、「1回に10g以上、表面から2㎝以下からサンプルを採ること」です。実は着陸後、サンプルを採る時間がそんなにないんです。「90分以内にサンプルを確実に採る手法を開発して下さい」と。


探査機の下面に長さ1.5mのマニピュレータ(ロボットアーム)が取り付けられており、着陸後、アーム取付地点直下から半径1m以内に動かすことができる。手先のセンサなどで最小1cmの石をとらえ自律的によけることが可能。


「はやぶさ2」の目標は当初0.1gでしたから100倍ですよね。しかもなぜそんなに短時間で?

加藤:フォボスの昼間の間に着陸運用を行わないといけないからです。夜に作業をするためには大きなバッテリを持っていく必要があるのですが、探査機の重量の制約でそんなに大きなバッテリは持っていけない。だからMMXは日の出とともに着陸し、約2.5時間後の日の入りまでには離陸する。その中でサンプル採取には90分かけられるんじゃないか、という感じで割り当てられました。


コアラ―は二重構造になっていて外側はスコップの役割を果たし、内側の筒にサンプルが入る。マニピュレータで内側の筒だけを引きぬいて帰還サンプルに収納する。


制限時間90分とは厳しいですね。どんな案が検討されたんですか?

加藤:スコップで掘ろうとか、螺旋型のドリルを回そうとか色々な案がありました。制限時間や、着陸したエリアの中からサンプルを採る場所が決められるという点でマニピュレーターを採用し、サンプルを採取するための筒状の装置「コアラー機構」をマニピュレーターの先端にとりつける。コアラーを射出しフォボスの地表下に突き刺すことで、サンプルをできるだけ多く採るという方式になりました。


取材時に使用していた砂採取検証用のコアラー機構試作機の1つ。この試作機は先端を引き抜くと内側の筒(内径21㎜×高さ75㎜)の先端の蓋が閉じるようになっている。


コアラーはどんな仕組みでサンプルを採るんですか?

加藤:コアラー機構の射出装置によって、スコップ付きのコアラーを射出します。コアラー機構は特殊形状記憶合金を搭載していて、加熱することで形状記憶合金が少し延びてボルトが切れます。その勢いでコアラーがすぽっと飛び出す。コアラーは二重構造になっていて、外側の筒には(スコップのように)シャープな先端があるので、フォボスの地面の中にずぼずぼと入ります。この時、サンプルがコアラー内筒に入ります。その後、コアラーを地中から抜かなければならないのですが、ボールロック分離機構を駆動させると、コアラー内筒先端の蓋が閉じる仕組みになっていて、同時にスコップを分離します。マニピュ―レータがコアラーの内筒を引き抜きぬいて、帰還カプセルに収納します。

岩があると探査機が自分で判断して別の場所へ移動

弾丸+サンプラーホーンを使った「はやぶさ」方式とはだいぶ違いますね。現段階のサンプル採取のシーケンスを教えてもらえますか?

加藤:MMX探査機がフォボスに着陸後、30分ぐらいで揺れがおさまると準備完了。サンプル採取を始めます。まず探査機下面についている地形計測センサで3D情報入りの地形画像を取得します。だいたい2m四方のエリアを撮影します。

取得した画像を地上に送りますが、火星近傍のフォボスから地球までは通信に15分ぐらい時間がかかります。地上に届いた3D情報を管制室で復元し、サイエンスや工学の担当者たちが平らな場所の中から「ここでサンプルを採ろう」という場所を2か所決めます。


MMXの探査モジュールには複数のセンサがある。探査機下面にはフォボス表面の地形を3Dで計測する「地形計測センサ」、ロボットアームの先端にカメラと「ピック」と呼ばれる管状のセンサ。ピックで地面をつつき、地面下に岩がないかなどを確認する。


何分ぐらいで選定するんですか?

加藤:10分以内です。事前に「こういう画像が届いたらここを選ぶ」と訓練しておいて、なるべく迅速に選びます。その情報を探査機に送り返します。そのため往復の通信時間が30分ほどかかるわけです。


探査機下面に地形計測センサが搭載されている。そのカメラで地形の生画像を取得。同時に網目模様を投影できるLEDで地面を映し、カメラで撮影する。何もなければLEDが投影する網目模様がそのまま見えるが、石やくぼみがあれば網目模様が乱れて映る。こうして3Dの地形情報が得られる。


深宇宙探査ならではのやむを得ない時間ですね。それから?

加藤:探査機が情報を受け取ったら、マニピュ―レータ―が最初のサンプリング候補地点へ動きます。マニピュレーターの手先にはカメラがあって、直径1cm以上の岩石があったら自動的に検出しその岩石をよける判断をします。また、マニピュレーターの先端にはピックと呼ばれる管があり、地面をつつき地面下の硬い岩石に跳ね返されたりしたら、その場所ででのコアラー射出はやめる判断をして、2か所目に移動します。岩石がなければコアラーを射出します。

―カメラで岩石が検出されなくても、ピックをさして地中を確認し岩石があったら、コアラーを射出するのをやめる判断を自分で行うとは賢いですね。コアラーを射出してから引き抜くまでの時間はどのくらいですか?

加藤:1~2分です。


左)ピックが岩石を検出すると、コアラ―射出をやめる判断をする。 右)岩石が検出されなければ、コアラ―射出!

短いように思いますが、「はやぶさ2」はタッチダウン後、数秒でしたよね。

加藤:早いという意味では「はやぶさ2」のサンプル採取は秀逸なんです。でも「はやぶさ2」は着陸前に目標地点を選んだら、その後は地面のどこに当たるか選択ができない。MMXでは着陸後に観測してサンプル採取地点を選ぶことができます。そして何よりもMMXのサンプル量は多いです。

サンプル採取後は?

加藤:サンプルがこぼれないように、マニピュレーターでコアラーをフォボス表面と反対方向に向けて、離陸します。


コアラーが地中に挿入後、コアの内筒を地中から引き抜くと同時にコアの内筒の先端にある蓋が締まる。その後、離陸前にサンプルがこぼれないように、マニピュレーターでコアラーの向きをフォボス表面と反対方向に向ける。


サンプルを採取できたかどうかの確認は?

加藤:フォボス表面にいる間は「コアラーを打ち込みました」という情報しか得られません。フォボスを離陸して軌道上に戻った後に、地形計測センサのカメラで、コアラー機構の窓からサンプルが入っているかどうかを確認します。その後に帰還用のカプセルに収納します。2回着陸を行う予定です。

砂がふわふわしているのか硬いのか、わからない!

90分という制限時間内で地球とやりとりして、岩石のない場所からサンプルを採るのはとてつもなく難しい挑戦ですね。課題はいっぱいあると思いますが、何が難しいですか?

加藤:何よりも一番つらいのは、微小重力環境で試験や検証ができないことです。フォボスは2000分の一Gという微小重力環境で、かつ砂がふわふわしているのか、締め固まっているのかがわからないんです。地球上でふわふわな軟らかい砂を作って実験しましょうといっても、その状態を作ることが出来ない。それを推定するために「コアラーに何gのサンプルが入りそうです」という検証実験を延々やらないといけない。


フォボスの模擬砂を使ったコアラ―の実験の様子。 直径25mmのピックを土壌表面から80㎜の深さまで0.5㎜/secの一定速度で貫入できるかを試験。

フォボスの砂の状態がわからない?

加藤:フォボスって「はやぶさ2」が探査した小惑星リュウグウほどまったく情報がないわけではないけれど、月のように潤沢に情報があるというわけでもなく、中途半端なんです。これまでフォボスに探査機は降りていないし周回探査もしていません。サイエンスの方たちがフォボスの砂粒子の半径や密度、空隙率など推定したデータを出してくれています。例えば「空隙率」は砂粒と砂粒の間の隙間を表していて、数値が高いほど隙間がある。フォボスは微小重力環境なので空隙率が高くて砂がふわっと降り積もっている可能性がある。東京大学の宮本英昭研究室で「レゴリスシミュラント」と呼ばれるフォボスの模擬砂を作ってくれて、実験を行っているんですが、あまりにも隙間がある砂は、重力の影響で地上では作ることができないんです。

微小重力環境での実験は行っているのですか?

加藤:微小重力のフォボスでコアラーを射出するとどうなるか、という課題については落下棟で実験を行っています。北海道にある植松電機さんの落下棟コスモトーレは57mの高さがあって2秒間、また、MMXの国際協力先であるドイツDLRのブレーメンの落下棟は高さ146mあって、9.3秒間の微小重力環境を作ることができます。私達は真空チャンバーの中にコアラー射出機構一式とフォボスの模擬砂を入れて高速度カメラを設置して落下させ、2秒間ですべてを計測しました。


2019年9月、ドイツ・ブレーメンにあるZARM落下棟で実験を行ったときの写真(ZARMツィッターより)前列左側が加藤さん。

2秒間の間に!わかったことは?

加藤:コアラーがフォボスの砂にしっかり刺さるかの検証と、もう1つ重要なことでは、コアラーが刺さった時にどのくらいの砂がどんなふうに巻きあげられるかを見ようと。この実験から、カメラなどの重要な機器をどこに取り付ければ砂から守ることができるかという検証ができました。限られた時間の中で必要データが取れるまで何回も落下実験をやらないといけないのでみんなでひーひー言いながらやってました(笑)

人類の進化の過程に貢献したい

MMXは2024年度に打上げ予定ですね。今はどんな段階ですか?

加藤:遅れは許されない状況です。2022年春に詳細設計審査があるので、はいつくばりながらやっています。審査をクリアすれば実際に飛ぶフライト品を作り始めます。

加藤さんはロボティクスの専門家ですね。MMXにどんな想いをもっていますか?

加藤:元々はアメリカで自律運転車のプロジェクトをやっていましたが、今は砂にまみれて絶賛試験中です(笑)。MMXがとてもいいミッションだと思うのは、火星圏から世界で初めて物を持ち帰ること。サンプルリターンミッションが美しいのは、ちゃんと地球に帰って来られるところです。

フォボスは有人火星探査の拠点候補になるかもしれません。一旦火星に着陸してしまうと、宇宙飛行士が地球に帰還する時には、火星の重力を振り切って打ち上がらないといけないのですが、フォボスなら微小重力なので帰還が楽です。その意味で人類史に足跡を残す、歴史を作ることに貢献するプロジェクトだと強く思っていて、やりがいを感じています。

それは裏を返せば、失敗は許されないという事です。だからこそ頑張れる。注目度が高いミッションだから、もし帰還してサンプルが入ってなかったら「誰が作ったんだ」と言われて「俺です」となってしまう(笑)かっこよく動いた!というようにしないと。

責任重大ですね。改めて開発者としてサンプル採取システムの売りや工夫した点は?

加藤:一番難しいのは、着陸の時間が制限されること、通信遅延があることです。目の前でじっくりやるなら全然難しくない。マニピュレーターを動かして(コアラーを)射出して来るだけのロボットです。でも時間制限ゆえに苦労がある。コアラーをクイックに、しゅぽんと射出できるようにするとか、マニピュレーターで場所を選択するのも2~3分で終わるように。フォボスの砂の状況もわからないし、重力もないところが本当に難しい。でも、たとえ通信ができなくなっても、何かしらサンプルを採って帰ってくるように頑張って実装しています。

それはすごい。米国の大学で学んだあとJAXAに入ったのは宇宙ミッションをやりたかったからですか?MMXは今後にどうつながっていくでしょう?

加藤:人類の進化の過程にいくばくかでも貢献できればいいなと。個人的な想いとしては今後色々なロボティクスミッションが立ち上がり、インテリジェンスがあるロボットも宇宙に打ちあがっていくようになる。MMXはその一つのいいステップかなと考えています。

 人間の活動範囲は広がって行く。MMXが火星圏に行って帰ることに成功すれば、有人火星探査の話がどんどん出てくるでしょう。宇宙機関も民間もタッグを組んでやっていければいいと思っています。宇宙大航海時代に向けて、今は喜望峰を回ろうとしているところですね。