「フォボスはリュウグウ以上に難しい」 ―臼井寛裕教授に聞くMMXキュレーション準備

はやぶさ2」が小惑星リュウグウから持ち帰った試料の分析が進行中です。論文が出始め、来春には数多くの科学成果の発表が期待されています。宇宙からの貴重な試料を地球環境によって汚染されないよう保ち、研究者に分配前に一粒一粒の特徴をカタログ化するのが「キュレーション」と呼ばれる作業です。現在、地球外物質のキュレーションを行うことができるのはNASAと日本だけです。日本のキュレーションチームを統括するのがJAXA宇宙科学研究所の臼井寛裕教授です。火星の水の研究を長年続け、NASA火星探査チームの一員でもありました。そして今、2029年度にMMXがフォボスから持ち帰る試料の受け入れ準備を始めています。その内容について、また臼井教授ご自身について聞きました。

(聞き手・文:林公代)

動画:JAXA地球外生命体サンプルキュレーションセンター「はやぶさ2」クリーンチャンバー内での作業の様子

臼井先生がJAXA宇宙科学研究所で仕事を始められたのは2018年。ちょうど「はやぶさ2」がリュウグウに到着した年ですね?

臼井教授(以下、臼井):はい。7月に宇宙研に着任したのですが、8月までに「はやぶさ2」の着陸地を決めないといけないとみんな大慌て。誰も相手をしてくれなかったです(笑)

JAXAに着任されたのは、キュレーションチームの統括のためですか?

臼井:違います。「MMXを含めた火星、そして月を含めた重力天体探査を進めてください」ということで着任しました。元々、火星から飛来した隕石を使って物質の分析をしていたんです。火星の知識もあるしNASAの人脈もある。そこで「キュレーション全体の面倒を見ない?」というお話を頂き、2020年から惑星物質試料受入れ設備(地球外試料キュレーションセンター)の統括をしています。

フォボスの試料からわかること―「小惑星捕獲説」VS「天体衝突」

MMXがどんな試料を持ち帰り何が明らかになるのか、とても興味があります。MMXの科学目的の一つが「火星の衛星の起源を明らかにする」ことですね。火星衛星の起源について今考えられている説が2つあって、一つが火星の近くを通りかかった小惑星が捕獲されたという「小惑星捕獲説」。もう一つが火星に天体が衝突し、吹き飛ばされた火星の物質と衝突した天体のかけらが集まったできたという「天体衝突説」。2つの説で得られる試料はどう違いますか?

( → 火星の衛星の形成説についての詳細はこちらをご覧ください)

臼井:まず小惑星捕獲説の場合ですが、そもそも小惑星捕獲説が支持されているのは、D型小惑星とフォボス表面の分光データがとてもよく似ているからなんです。D型小惑星は太陽系の外側、リュウグウのようなC型小惑星よりさらに遠くの冷たい領域で形成されたと考えられていて。より水を含む鉱物や有機物に富むような物質が得られるんじゃないかと。

( → D型小惑星についての詳細はこちらをご覧ください)

臼井寛裕(うすい ともひろ)JAXA宇宙科学研究所地球外物質研究グループグループ長。1976年福岡県生まれ。岡山大学研究員、テネシー州立大学研究員、NASA ジョンソン宇宙センター研究員、東京工業大学地球生命研究所准主任研究員などを経て、2018年より現職。

リュウグウより水を含む鉱物や有機物に富む可能性がある!そうなると、「小惑星が太陽系内で水や有機物の移動を担ったのではないか」という仮説をサポートする情報が得られるということになりますね。天体衝突説の場合はどんな物質が得られるでしょう?

臼井:衝突した天体のかけらと火星表面の物質の混ざり合いになる。色々な理論研究があって幅はありますが、50%ずつぐらいではないかと考えられています。ただし、白いものと黒いものが不均質に混ざっているような状態ではない。衝突時の温度は摂氏1800℃ぐらいで岩石の融点約1000℃を超えてしまう。だから一回溶けて再結晶したような形になっているはずです。高温を経験した結果、急に冷えれば火山ガラスのようなものになるし、ゆっくり冷えれば鉱物が発達するかもしれない。いずれにしても、衝突した元々の小惑星物質がそのまま残っていることはないと思っています。

小惑星捕獲説と天体衝突説、どちらの可能性が高いと考えられていますか?

臼井:両方とも間違っている可能性もありますが、それぞれの説に観測に合う事実と合わない事実があります。D型小惑星表面とフォボス表面の分光データがとてもよく似ている点は、小惑星捕獲説を強くサポートします。 その一方でフォボスとダイモスが火星の周りをどう回っているか、つまり衛星の軌道は小惑星捕獲説を真っ向から否定しています。

どういうことでしょう?

臼井:火星に向かって小惑星があらゆる角度やスピードでやってきて一部は衝突し、一部は通り過ぎる。火星のギリギリのところを通った時に初めて重力的にとらえられるのですが、捕獲される場合にあり得るのは、傾いた楕円軌道です。ところがフォボスもダイモスも円軌道で火星の赤道面上を回っている。ある人の計算では、小惑星が捕獲されたとしてフォボスとダイモスが今の軌道を回る確率は約1000万分の一だそうです。ほぼ不可能ですよね。つまり分光データは小惑星捕獲説をサポートし、軌道は天体衝突説をサポートしている。

フォボスから試料を持ち帰って分析しないと決着がつかないという事ですか?

臼井:試料を持ち帰れば確実ですが、MMX探査機がフォボス上空から化学分析できるので、かなり決着がつくかもしれません。

MMXキュレーションの準備状況―「はや2」で大きなステップ

クリーンチャンバ内にて、サンプルキャッチャから回収した特大粒子を一粒ずつ専用容器に収めている様子。地球外試料キュレーションセンターで撮影。

なるほど。フォボスから試料を持ち帰るのは2029年度の予定ですが、キュレーション準備は今、どんな状況ですか?

臼井:ちょうど過渡期にあります。最初の3~4年間はフォボスからどういう物質を持ち帰ってきそうかかという研究。去年から今年は持ち帰った物質にどんな分析をすればミッションの目的が達成できるかという分析のプロトコル(手順)を作っていました。来年からどんな施設を作らないといけないか、設計の仕様を決めていく段階が3年ぐらい続きます。

いよいよMMXキュレーション施設の設計に入っていくんですね。「はやぶさ2」のキュレーション手法から継承する点、学んだ点はありますか?

臼井:地球外の物質で汚されることなくハンドリングする技術は初代「はやぶさ」から培ってきました。クリーンルームをどう作るか、真空チャンバの素材、中で使うピンセットなど全てのものを特注し吟味して作っていますが、そのまま継承します。特にはやぶさ2で良かった点は、当初0.1gと計画していた試料が約5g帰ってきたこと。目標採取量の50倍です。MMXが持ち帰る試料は10g以上。0.1gから10g(MMXの目標採取量)だと100倍のジャンプですが、5gだと2倍です。大量の試料を処理できる経験を今どんどん積んでいる。「はやぶさ」「はやぶさ2」「MMX」へホップ・ステップ・ジャンプとキュレーション技術を向上させていこうと思っていたら、「はやぶさ2」でけっこういいステップを踏めたと思っています。

「はやぶさ2」が持ち帰った試料が5gと大量で、容器調達が大変だったそうですね。

臼井:はい。でもそれ以外は対応できたと思います。小さい粒が50倍増えたわけでなく、大きな粒子が多くハンドリングは比較的しやすかった。ただし大量のサンプルを扱う際のポイントは「黒さ」でした。リュウグウの試料は全部真っ黒で、肉眼ではどれを見ていいかわからない状態でした。でも今回は近赤外分光顕微鏡を入れたことで、肉眼(可視光)では見えないが近赤外で特異的な鉱物の存在が明らかになったんです。大活躍でした。MMXがD型小惑星のサンプルを持ち帰るとしたら、もっと真っ黒なはずです。近赤外顕微鏡を使えば慌てなくていいと思っています(笑)

2020年12月8日宇宙科学研究所にリュウグウの試料が届けられた直後の記者会見で。この時はまだ試料が5gもあるとは誰も知らなかった。(撮影:林公代)

近赤外顕微鏡は初代はやぶさの時は使わなかったのですか?

臼井:「はやぶさ」の時はなかったです。世界中のキュレーション設備のなかで今、近赤外分析装置を備えているところはゼロです。実は、「はやぶさ2」探査機に乗せる近赤外分光計のスペア(予備)があるからキュレーション設備に入れましょうという経緯で入れました。顕微鏡なので、水の痕跡があるような粒子だけを赤くしたりすることができるんです。

粒の中のここに水の兆候があると見えてきたら、作業をしていて興奮するでしょうね~

臼井:そうですね。ぱっと見えるわけではなくて徐々に徐々に見えてくるんですけど。

先生ご自身はキュレーション作業をなさることはありますか?それとも監督する立場?

臼井:監督官みたいな立場ですね。何をやっているかはもちろん知っていますが、どのボタンを押したら何が起こるかはあまり詳しくは知らない(笑)

なるほど(笑)。MMX用に新しく導入を検討されている施設や手法はありますか?

臼井:先ほどお話した近赤外分光顕微鏡は、たまたまフライト用のスペアを入れましたが、MMXではキュレーション用に最適化した顕微鏡を入れたいですね。それからより多くの有機物が含まれる可能性が高いので、同定できるようにしないといけない。試料は最低10g以上、もしかしたら30gほどになる可能性があるのでその準備も必要です。

有機物を同定するにはどうやって?

臼井:近赤外に加えてUV(紫外線)で有機物の同定ができるような波長領域があるので、使ってみようと思っています。ただし、波長が短いとエネルギーが高くなります。日焼けするのと同じで石が日焼けするとよくない。UVを使えるかどうか手順を精査しながらですね。

フォボスの素性は?リュウグウ以上にわからない!

キュレーション作業の様子

ところで、はやぶさ2はリュウグウに到着するまで石が真っ黒だとか多孔質であるなどの事実がわかりませんでした。フォボスは現時点でどれくらいわかっているのですか?

臼井:わかってない方が多い。フォボスの方がリュウグウよりキュレーションが難しいと思ったほうが正しいです。リュウグウは確かに大きさも形も到着までわかりませんでした。とは言え小惑星の物質を持ち帰ることはわかっていたし、小惑星についての知見を私たち科学者は持っています。

 一方、フォボスの場合は、写真もあるし形もわかっているし、分光データもありますが、それが小惑星っぽいのか火星っぽいのか、我々が全然知らないような物質なのか、混ざっているのか溶けているのかわからない。さらにフォボスは火星の周りをまわっているから火星からの影響も受けている。小惑星起源説の場合、天体衝突起源説の場合などたくさんのケースに分けてキュレーションの手順を検討しないといけないんです。

具体的には、小惑星捕獲説だったら有機物が多そうだから、そのための準備が必要とか?

臼井:はい。あとは低温で安定した含水鉱物がたくさんあると思われるので、それを見極められるような近赤外の顕微鏡を準備しておくとか。

確かにそれは大変そうです。

臼井:リュウグウの試料は当初0.1gと少ない量を予想していたので、日本国内外の分析チームに分配するまでクリーンチャンバから出さないという考え方でした。でもフォボスの試料が10~20gも得られるなら、そのうちの0.01gぐらいはチャンバから出して色々な分析をかけてしまうこともチームで検討しています。

動画: 「はやぶさ2」サンプル地球帰還の1年後

早く外に出して分析することの意味は?

臼井:チャンバ内だと可視光か近赤外で見るだけですが、外に出せばエックス線や電子線をあてたり、溶かして化学組成を分析できたりする。そうすれば解析を始めて一か月もしないうちに例えば「こんな有機物が見つかりました」とわかるでしょう。(「はやぶさ2」では回収から約半年間後に外に出して初期分析を始めたので)試料回収から1年経っても「有機物の痕跡」に留まり、どんな有機物か特定できていない状況です。

それは大きな意味がありますね。個人的には、火星からフォボスに飛来した物質の中に生命の痕跡(微生物の死骸など)が見つかる可能性に注目しています。そもそもフォボスの試料の中に火星粒子をどうやって見つけるのでしょうか

臼井:見つけるための手段の一つが近赤外顕微鏡です。難しいのはフォボスから持ち帰った試料の中に火星粒子があったとしても、1%以下と存在度が低いこと。真っ黒な粒子の中で「一粒だけが火星からの粒子です」と言われても効果的に拾いだせますか、と。ただしフォボスには大気や水がなく、火星には大気や水があります。火星の物質は大気や水と反応した鉱物である可能性がとても高い。フォボスで採取したサンプルに炭酸塩や含水鉱物、有機物があれば炭素が見えるかもしれません。顕微鏡でそれらが像として出てくるようにできれば、火星からの飛来物質を比較的容易に見つけられるのではないかと思っています。

地球外物質のサンプルのキュレーション技術を持つ米国(NASA)と日本(JAXA)

2021年11月末、NASAジョンソン宇宙センターでリュウグウの試料を引き渡し。「C型小惑星の試料は『はやぶさ2』が持ち帰ったものだけ。NASAは『オサイレス・レックス』帰還前に実物で練習できる。日米チームは試料を交換し、分析技術などを共同開発していきます」

キュレーションはアポロ計画で月の石を持ち帰ったNASAが世界で最初に始めました。世界で地球外物質のキュレーションを行えるのはNASAと日本だけなんですね。キュレーションの難しさは?

臼井:コントロールされた条件で、モノを汚さずにカタログを作るという目的を達成しないといけないのは難しく、根気のいる作業です。物質を扱う時に使うピンセット一つとっても、地球外物質に応用していいのか素材は大丈夫か、グローブはどうかと全てをチェックしないといけない。積み重ねがものをいう世界です。その意味では「初代はやぶさ」から実績がある日本は少し有利。他のところはお金を出しても追いつけない状況です。

NASAにはアポロ時代からの実績があり、「ジェネシス」計画で太陽風の試料を「スターダスト」計画で彗星から試料を持ち帰り分析しています。日本独自と言える分野は?

臼井:日本独自なのは小惑星のキュレーション。小さいものを真空環境下でハンドリングする技術です。静電気ピンセットという小さいものをつかむ際のマニピュレーション技術をたくさん運用している点では、我々の方が一日の長はあると言えます。

MMXの試料が2029年度に帰ってくれば火星圏からのサンプルリターンは世界初となります。期待や楽しみにしていることは?

臼井:まさに僕自身が火星を研究していました。MMXが持ち帰るフォボスの物質の中には火星の物質が含まれている可能性が高い考えています。それを世界に先駆けて日本が実施することに期待しています。たとえ生き物でなくても有機物が含まれていれば、十分に面白いと思っています。自然史科学の要素の強い惑星科学では、「誰も言ったことのない場所に行き」「誰も見たこともないものを発見する」ことで、あまたの天才達が提唱する理論を覆してきました。「天才もモノの前では黙ってしまう…」。そんな魅力が惑星探査・サンプルリターンにはありますので、とても期待しています。

「はやぶさ」帰還時に抱いた思い

2010年6月13日、小惑星探査機はやぶさ帰還時、ウーメラで撮影された火球。(JAXA/台湾國立中央大學)

ところで2010年6月、初代はやぶさが地球に帰還した際、NASAで見ていたそうですね。どんな気持ちでしたか?

臼井:当時はNASAジョンソン宇宙センターで研究員をしていて、みんなで「はやぶさ」が火の玉のように大気圏に突入するところを見ていました。アメリカ人の同僚は「Beautiful」とか「Fantastic!」と興奮していたけれど、僕は自分の生まれ育った国で先輩たちが成し遂げたことに対してセンチメンタルな想いが強かった。当時は「はやぶさ」に関わったこともないし、名前を知っているぐらいだったのですが。

日本に貢献したいという気持ちもあったのですか?

臼井:その前段階があります。NASAの火星探査チームに入って仲間として認められ楽しくはありました。ただしNASAにとって僕は外国人であり、同じ条件ではなかった。ある時NASAの火星ローバーに関するサイエンスの会議があって、技術的な話題に移った時、リーダーに「アメリカの市民権か永住権を持った人以外は部屋から出て欲しい」と言われ、百数十人の中で部屋から出たのは僕だけでした。同僚は申し訳なさそうにしてくれたし、そういうものだと思っていた時に「はやぶさ」が帰還したんです。純粋な科学的興味だけでアメリカに行き研究を進めてきたけれど、それだけではない。そのタイミングで日本に就職のチャンスがありました。自分が生まれ育ち教育を受けた国、親兄弟友達がいる国にちょっとは貢献したいという思いがあったことと、ポジションがマッチしたんです。

そうでしたか。先生は火星の水について研究を長年続けておられます。今後の目標は?

臼井:大きく出ていいんですよね(笑)。僕の目標はJAXAに着任した時から3つ決まっています。1つ目が日本で戦略的かつ連続的な探査を行うこと。2つ目が年齢・立場に関係なく、自由でフェアな議論ができるアカデミックな研究環境を作ること。3つ目は自分自身が前の年よりも研究業績をあげること。研究業績をあげれば探査ができる、探査ができれば若い学生がやってくる、若い学生がやってくれば、業績が上がり、探査ができる。3つは繋がっています。

今はお忙しくて研究に割ける時間が減っていませんか?

臼井:自分自身がやる時間は減っています。学生やポスドク研究員と一緒に「こんなテーマ面白そうだからやってみない?」とどんどん振っています(笑)

連続的な探査という意味ではどんなミッションがありますか?

臼井:火星の地下にある氷の分布を知ろうという「マーズ・アイス・マッパー」計画の検討にJAXAも参加しています。難しいし面白いミッションです。JAXAはその先に火星着陸探査を考えています。でも火星だけに閉じていると5~10年に一回の探査になってしまう。着陸探査の技術を得るために月に着陸するSLIM計画がある。月や小惑星探査を入れ込んで、若いメンバーが研究者人生の中に何回か探査に関与できるようにしていきたいですね。


関連リンク:

地球外物質研究グループ